2012年5月21日 (月)

最近の国際問題と経済

今日は金環日食が朝起き、日本各地で観測されました。金環日食の起きた年は経済は比較的好調と言うジンクスあるらしいのですが果たしてどうなりますやら。

ところでここ数日ヨーロッパでは大きな政治の動きが有りました。フランスとギリシャで緊縮経済・財政立て直し路線の政権が倒れ、経済発展志向の政権が誕生しました。(ギリシャでは再選挙らしいですが)、これって見ていると人間の決して悪い意味ではないのですが情けなさを感じました。
つまり財政の再建を図るために身を切る改革 例えば税金を上げる 年金を削減する 公務員の数・所得を減らす、等々我が身にも厳しいが、数年後の国全体を考えれば致し方ない“痛み”よりも、“経済発展志向”という曖昧で未知でな何となく幻想というか夢を持つような方向に国民は舵を切ったのです。
つまりもう厳しいのはいや、少しは楽(らく)したい~~ と言うのです。
人間の性(さが)としては解る気がします。何年も厳しい状態ではいられない、時にはパットお金を使って元気を付けたい、そう言うことでしょう。
きちっと堅実な、どちらかというと厳しい苦労より、先のことは解らないが何とかなるだろうという刹那的な欲求をフランスもギリシャの人々も選択したのだと言えます。
もちろん経済発展を優先する事自体は上手くいけば大いに意味があります、しかし今の経済の構造的な問題を解決せず一時的でない長期的な経済発展などありません。口では何と言っても現実経済発展できるかどうかはかなりの疑問を持っています。

でもこれはきっと数年後には日本でも言えることになると思っています。いや日本では緊縮財政=財政規律の確立以前に国政の流れは経済発展という方向に動き出すかもしれません。今の流れでは野田首相は消費税にかなり力を入れてますが党内の小沢さんをはじめとする反消費税勢力を取り組むことができるのか? かなりの疑問であり、野田さん自身の進退をかけてもこの法案の成立には紆余曲折がありそうです。

そして更に最近では中国の経済も先行き怪しいと言われだしました。住宅や土地バブルが崩壊しつつあり、国全体の経済システムが上手くいかなくなっていると言うのです。
しかし中国はさすがというか共産国家ですから国の統制が他の国よりは効いていて未だ崩壊というような雪崩的な現象には至っていません。まして今年は習近平氏に権力移譲がされ新たな体制が始まろうという時です。こんな時に経済的な混乱を絶対起こさせないという意志が政府にある限り、恐らく中国の経済の破綻は少なくとも来年以降になることは間違いないと思います。

では経済が絶好調なのはどこか? それはASEAN諸国です。これらの国々は内在する例えば民族問題や宗教問題、独立問題などありますが、経済の状態が良いとそう言った問題はあまり表面化しません。やはりお金があれば多少のことは目をつむってしまうのでしょう。これって今の中国の共産主義も同じですよね。
ではなぜASEAN諸国が良いのか?この事は私の1月のブログで経済問題を書いてますからそこをご覧下さい。

どうやら昨年からここ一年でこれから10年程先の経済の流れが見えてきたそんな最近の経済の動きです。
それにしてもヨーロッパの経済方針の変更は何をエンジンにして経済発展を進めるのか? 本当に経済発展はできるのか? これが絵に描いた餅に終わりグローバルな経済が破綻に向かう予兆でないことを祈るだけです。

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2012年5月18日 (金)

政治との距離感

自分が県会議員として仕事をしているときによく感じたのは「どうして有権者は政治に無関心なんだろう?」という疑問でした。
自分が所得税 固定資産税 消費税 自動車税 その他諸々 多くの税金を払っているのですから、その使い道を決める政治に関心を持たない事自体が不思議でした。
少なくとも、月に数万円の税金の支出を行っているわけですから関心がないのが不思議です。月に数万円の買い物を毎月しているとなれば、その商品やサービスについてネットで調べたり、友人に聞いたり本を読んだりしリサーチして購入します。ところが同じ支出でも税金だと払う事自体については大いに関心があるのですが、一旦収まってしまうと後はそれ程関心を持ちません。
該当でインタビューをし、マイクが向けられれば、「多いに関心があります」という回答はしますが、それは言わば儀式の様なもの、またマスコミも都合に良いところだけ使いますから、国民が感心があるように表面上は見えますが、でも現実例えば選挙の投票率、政治家や行政のサイトの訪問頻度 等々見れば言う程関心がないことが解ります。

要は聞かれれば必要で関心を持たなければいけない事は知ってるが、さりとて日々忙いなかそう関心を持っている事はできないと言うのでしょう。
恐らく、一般的な人に聞けば本音はそうお答えになると思います。いや私は多いに関心があるという方ももちろんおられますがごくごく僅かな数だと思います。まあ平たく言えば格好いいこと言っても所詮他人事 という感じがします。
でもこの事が政治的なレベルをいつまでも上げることができず、ポピリズムに走り、もの珍しい言い様や行動の、そう田中康夫さんのような政治家に人気が集まります。
これがタレント 芸能人のたぐいなら大いにそれはそれで結構です。しかし政治家には権力があります。そこに無関心な国民の危険性があると思います。

しかし政治的無関心を批判的なスタンスで書きましたが、自らが政治と距離をもつと確かに関心が薄れて来ることは事実です。
議員の頃は県民誰もがみんな当時の県会の田中知事と県議会議員のバトルを固唾をのんで見守っており、県民の政治に対する意識も高い、そう思っていたのですが、どうやら大きな間違いがあったようです。多いに関心があったのは旧態依然とした議会と改革派の知事との戦いと言うより、いかにも黒幕的な“ドン”的な県議と何だかクリスタルな知事とのバトルが面白かったのであり、例えば議会の政務調査費の情報公開の問題や、夜な夜な上京し落ち着いて長野県政の旗振りをしないコモンズかぶれの知事の政治的な活動などそれ程興味がなかったのかもしれません。
なぜそう言うかと言えば 後が続かないからです。
田中さん以降どなたかあの流れの政治家が出てきましたか? あの頃長野県各地の議会選挙で雨後の竹の子のように出てきた田中チルドレン的な皆さんはどうしたのですか?それを支持し大騒ぎをした皆さんはどうしたのですか?

話は逸れましたが、やはり話題がなくなると関心がなくなる、当事者でなくなると関心がなくなる、単純な事なんだと改めて思いました。
私など最近ではテレビで長野県内のニュースなどほとんど見ません。元県議がそうなんですから一般県民が感心がないことは理解できます。当時はなぜテレビは県政の問題を取り上げないのか?疑問い思っていましたが、今となればテレビとて視聴率を気にして作製します、であるなら県政よりも○○保育園の園児達の芋掘り大会の方が季節の風物詩として良いのかもしれません。

よく言われる議会村 県庁村 良い意味で自負心と矜持をもって仕事をしている裏返しの自嘲的な言い回しだと思います。でもこれが本当の“村”にならないようにしてほしいと思います。
と言うよりしてしまうのは無関心な我々県民かもしれません。

久々の更新が何やら意味不明になってしまいました。┐(´д`)┌ヤレヤレ

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2012年5月 8日 (火)

連休中に考えたこと

連休はお陰様で(?)たっぷり休むことが出来ました。そうは言っても親戚で大変お世話になった方の葬儀があり、それなりにバタバタとした連休ではありましたが・・・

ところでこの連休中にどうしても気になったことがあったので書きます。
それは今の“世論”というか“流れ”というか“空気”というかそう言ったものに対する警戒心とでも言うのでしょうか、分かり易く言えば「それって良いの?」という単純な疑問です。

まずは大阪橋下市長さん及び橋下さんを中心とする皆さんの「維新の会」のあり方です。橋下さんの例えば教育改革や組織改革特に外郭団体の改革など一部分は除いて大いに賛成ですし、ほとんど私の持論と信来るする部分が多いのは事実です。しかし今は少しおとなしくなってますが議会との関係や議員との関係については私には理解できない部分が多くあります。議会軽視とまで言わないけど議会の存在をどう捉えるかこの考えには相違が私とはあります。
また、橋下さんの船中八策も賛成できる部分もありますがかなり??の部分もあります。
しかし、今の風潮では政治を語る人は橋下さんの考え方に共感を持たないと何となく反改革派的なレッテルを貼られそうです。

原発についても同じです。
福島第1原発で多くの皆さんが被害に遭われ、未だそのほとんどが解決してない、そう考えれば原発再開について議論するのは時期尚早という意見は冷静に考えれば理解は出来ます。もちろん他の原発の安全対策が十分でないなか再開など以ての外という意見は理解できます。しかし原発は何でもダメという風潮には理解できません。
少なくとも宮城県東北電力の女川原発はあれだけの地震と津波でも安全は維持されました。そうなるとあれだけの被害を出した福島第1で起きたような事故はどこでも起きるというのではなく、あくまでも安全対策が十分なされていなかった原発について起きたと考えるのが妥当です。しかし世論は何が何でも原発反対、再稼働反対です。もっと冷静に判断すれば良いのですがすでにヒステリックになってしまっているので、「説明責任が不十分」という訳の分からない言い分がまかり通ってしまって、冷静な議論さえ行われていないのが現実です。
今の反対派の意見を聞いていれば何を言っても「納得できない  十分説明されていない」 となってしまい、私の経験で言えば長野県議会の議場に国旗掲揚する事について共産党の皆さんが十分議論されていないという言い方で反対したことと似てます。
どんなに議論しても理解できない問題も世の中にはあるのです。徹底した議論すればお互いが理解できるなどと言うのは森羅万象全てに言えることでは無いのです、すでにその領域は神学論争になってしまします。国旗掲揚の問題など10年以上前から議論されていると当時聞いてました、それでも議論が足りないと言うのなら、何をもって議論が尽くされたというのでしょう?自分が納得したときですか? じゃ心情として理解できない課題は永遠に議論が足りない事になります。それって政治の停滞いや怠慢だと思います。

また風潮と言う事を言えば、太陽光発電もこう言った風潮の一つだと思っています。もちろん太陽光発電が悪い訳は決してありません。いやむしろその比率を増やすことが大事な事は事実です。しかし脱原発の救世主の如く語られるのは異論があります。
太陽光発電は発電システムから言って大変不安定な発電システムです。昼と夜 晴れと曇りそれだけで発電量は大きく振れます。中には全国規模になれば相殺されて振れは収斂すると言う方もいますが、全国的に大荒れの天気などと言う事はしょっちゅうあります。
自分の家の電気を賄うと言う根本の発想は悪くないでしょう。晴天の真夏の2時から3時にかけて自分の家で発電して、日本全体の電力消費のピークカットという話なら大いに貢献できるエネルギーだと思います。、でも社会のインフラとして太陽光発電は長期的に見て私は失敗だと思っています。もちろん発電素子の効率が50%とかになるとか言うとてつもない高能率の素子でもできれば別の話ですが・・・・
余談ですが一番私が有望だと思うのは地熱発電です。発熱量は安定してるし日本は世界有数の火山国で場所も多くあります。

これらの例を挙げたのは、今の世論がそう言う方向に流れているが、果たして本当にそれで良いのだろうか?少し冷静に考える必要があるのでは無いかと思います。ここでも何度も書きましたが世論はいつも間違っていないと言う事はありません。いやむしろ振り返ったとき、「間違いだったな~」と思わずにいられないことの方が多い気もします。
何度も書いてますが20世紀最大の犯罪者と言われるヒットラーでさえ民主的な選挙によって生まれた存在です。国民が民衆がいつも正しいとは言えないこの事だけは肝に銘じるべきだと思っています。
それにしても大衆迎合的なマスコミがその流れを加速してる現代、マスコミ関係者の質の悪化がその流れに拍車をかけている、誠に情けない事だと思います。
ある意味こんな時だが一番危険な時代かもしれません。

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2012年4月 9日 (月)

なぜか漂う閉塞感

野田内閣も消費税法案を閣議決定し、あとは国会に提出する段取りとなり、少しの間だ政治的な空白ができています。もちろんそれどころではなく、震災の復旧や行政改革など取り組むべき問題も多いのですが、とりあえず小休止と言うところかもしれません。

所でどうしてこの消費税法案が決まり、今年度の予算も自然成立したのですが、なぜか世の中の流れは変わりません。その原因はどうしても拭えない閉塞感だと思います。
閉塞感と言っても、いろんな意味で閉塞感という言葉があると思います。単純に行き詰まってしまった閉塞感や、何をしても打開できない閉塞感。何となく変わらないな~と言う意味での閉塞感。
いろんな閉塞感がありますが、今の日本の閉塞感は単純に行き詰まっている閉塞感だと思います。と言うのは現実たった3年前の選挙であれほど吹き荒れた民主党の追い風がぴたりと止むどころか批判の嵐が吹いてます。民主党政権の稚拙さが露呈し、国民は「あああ  こんなんだったの?」という諦めとも言える気持ちがでています。
しかしではそのカウンターとしての自民党はどうかと言えば、谷垣さんは悪い人ではないのですが、なんか小粒で政権奪取 と言うエネルギーを感じません。何とか解散へ追い込みたいという気持ちはありますが、そればかりが先行して国民の気持ちを斟酌する度量がない、そんな気がします。恐らくそれが今日本の政治の閉塞感だと思います。

ですから目新しい大阪維新の会 とか 石原新党とかに国民は注目しますがこの流れには私は疑問を持っています。
例えばたった数年前次期総理大臣にふさわしいランキングで当時自民党だった舛添要一さんはどうなったのでしょう? 国民・マスコミこごって次期総理にふさわしいと言っておきながら、新党結成時に十分な人数が集まらないと、マスコミからは消えてしまいました。本当にふさわしいと国民が思ったならなんで報道しないマスコミに注文を付けないのか?
要はあの時の一時的な気紛れだったと言う事なのです。
この事は大阪維新の会も恐らく同じ運命をたどるでしょう。数年はブームですが、言ってる事に綻びや破綻が見え出すと国民の支持は急速に冷めていくそんな気がします。ただ私として教育改革や地方行政システムのあり方など大いに賛成する部分もありますので頑張ってほしいのですが、国民は熱しやすく冷めやすいものです。本当にいいならとことん支持すればいいのですが、、数年後の街頭インタビューで「あれは何だったのでしょうか」などとしたり顔で言う庶民と言われる人の言葉が想像されます。

少なくともそう言う観点から言えば今の閉塞感は国民が自ら作っていると言えます。ある人に言わせれば、本当に困ってないから言えるのだ と言う事になります。
そうかな~? 困っている人は多いのだろうけど、そんな声はマスコミには上がってこないし、第一ニュースとして映像になりにくい話題はマスコミは取り上げませんから、勢いブームにはなり得ません。
その国の民主主義は国民のレベルで決まる。と言われます。本当にそうなんだなと 改めて感じる“閉塞感”です。

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2012年4月 3日 (火)

新年度になりました。

新年度になり様々な動きが出てきました。

国政では民主党が消費税の増税案を党内で決定し、閣議でも了解されいよいよ法案として国会審議にかけられようとしてます。この間小沢派の動向、国民新党の内部分裂(?)等々政治の激変が起きています。そして野党自民党もこの法案に賛成・反対で一枚岩ではなく、いよいよ消費税という国民に一番身近で大きな税金をキーワードとした国政の再編が始まるかもしれません。
歴史的に見ても基本的な自由の権利と税金の問題が統治者と国民との間の問題として起き、それを解決するために国民が手に入れた権利が議会というモノですからそう考えれば、増税というキーワードを中心に政局が大きく動くことは当たり前かもしれません。
ただ小沢さんの動きはこの問題とは少し違う、党内の存在感のアピールに終始し本当の増税論議ではないような気がします。選挙での優位性を確保するだけの行動であるなら、この行動こそ今の日本の財政的な危機を招いた元凶であると言わざるを得ません。つまりばらまきで票を集め、厳しいことを先送りし票を集める、結果当選した議員にはいいことですが、大きなツケを先送りしているという事実は代わりありません。

話は変わりますが、長野県県政の貴重な情報を長年にわたって伝えて頂いた「県政タイムス」が廃刊になるというお知らせを頂きました。
一般紙では中々伝わらない県政内部のかなりディープな情報を紙面として届けて頂いたこの新聞が無くなることに一抹の寂しさを感じます。
まだ父が県議の頃この新聞を発行されていた方が亡くなり、その後を奥様が引き続き発行するようになった新聞です。亡くなられた方のご実家が駒ヶ根市と言う事もあり、上伊那から行っていた父とは親しくさせて頂いたようです。その縁で後を継いだ奥様の中原さんとも引き続き親しくさせて頂き、父が亡くなったときにはかなりの紙面を割いて父の追悼の記事を書いて頂きました。
私が県議になったときもいつも議会棟でお会いし、当時の田中県政の矛盾点・問題点を話し合ったものでした。その県政タイムスがここで廃刊になるとのこと、時代の流れを感じます。

【ちょっとお知らせ】
長い間このニフティーのブログを使っていましたが、引っ越しをし、違うブログサービスを使いたいと考えてます。時期も引っ越し先も未定ですが、よろしくお願いします。
場合によれば過去の記事が削除される可能性もありますから念のためお知らせ致します。

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