外郭団体の見直しの見直し(?)が始まるようです。まず見直しは前田中知事時代クロネヤマトの会長であり(財)ヤマト福祉財団 理事長 小倉昌男(故人)さんを委員長に県出資等外郭団体見直し専門委員会が発足し、県出資等の外郭団体の見直しに着手しました。
それぞれの見直し案についてはまたの機会に言及するとして、この問題をマクロ的にとらえて考えたいと思います。というのは県関与=県がお金を出す=県民の税金を使う という公式になります。 県民の税金を使うわけですから、当然それは県民の為でなければなりません。言い方を変えれば県民合意に基づいた税金の投入であるという事になります。
私はそれぞれの団体は歴史的な過程の中で生まれてきた団体と解してますし、戦後の長野県の復興や長野オリンピックの開催等から考えると、それぞれの団体には大きな歴史的な意義があったという事は理解できます。
しかし、時代と共に県民のニーズも変化し、又大きな要因としては県財政の悪化も手伝い、見直しが始まったのだと思います、従ってこのことは田中前知事だからどうだとか、こうだとか言うのではなく、歴史的な経緯を考えれば当然その見直しをする時期にかかっていたと言えます、むしろ長野県は遅きに失した感もあります。
ところが田中全県政時の見直しはなぜ多くの県議会議員や職員関係者に拒絶されたか、それは歴史的な価値もそこに働く職員事も考えず、まして関係する諸団体とのマッチングもとらずに性急に結果を出そうとした点にあったのだと思います。
恐らく田中康夫さんの頭には既存の団体との意見交換やそこで働く職員を知ってしまえばしまうほど改革できにくくなる、結果として見直しはできない、という結論があったのではないかと思います。確かに改革をするときは“問答無用”的な荒療治も必要なときもあります、しかしこのやり方をするにはいくつかの条件があると思います。
先ず受益者である関係する県民が理解している事、田中改革という視点捉えるなら県民的な後押しはあったと思いますが、相前後するこの頃田中康夫さんが行った泰阜村への住民票移動や議会総務委員会でも明らかになった、知事後援会のしなやか会のお金の乱脈支出など、県民全体に何か“変だな”という思いもあり、県民あげての賛同という空気が無かったと思います。
そして何より県職員はじめとして関係者の中に改革を推し進める仲間がいる事も大きな要素となりますが、いかにせんやり方に職員や団体職員から反感こそ得ても、共感を得るという状況ではなかった。
そしてこれが一番大事なのですが、改革したその後の財政的な手当について何の策も示さなかった、という点です。
従って議会からも無責任な改革(案)であり承伏できないという議会全体の流れがありました。(今になってみるとその後の百条委員会等のゴタゴタで十分議論できなかったという思いはあります)
従って平成16年2月に出された答申についいてかなり実行性の確率の低い案となってしまいました、そこで再び再度見直しを始めるという事になったのです。
ところで私が書きたかったのは、税金の投入と 県民益との関係です。
わかりやすく言えば、例としてしなの鉄道に対する103億円の県の支出の問題がそうです、県民の足を守と言いつつ、実態は東北信の県民の皆さんに対しての便宜をはかったという事であり、少なくとも中南信の皆さんにとっては直接的には意味あるお金の使い方とは言えません。さりとて信越線があのまま廃止されてもいいのか?それも問題だと思います。
つまり限定的な県民に対する便宜の供与であっても、県全体としては無視できない、そう判断すれば税金は支出されます。ここが問題でどうやって公平で公正な判断に基づいて決定できるかと言うことです。
今回の県出資の外郭団体の例で言えばこの団体についてのお金の使い方は県民のためになっている、この団体へはもう投資は続けない、そう言った判断を誰がするのかと言うことです。
この事は実は県の予算はかくあるべきであり、こう執行しなければいけないと言う事になります。もっと根源的に言えば、広く県内から集めた税金というお金の再分配システムをどう公平で公正に行うかと言うことにもなります。
そしてこれは実は県政運営そのものであると気がつきます。
県出資の外郭団体の見直し、実はこれは時代の要請でもあり、内容的にはかなり実質的な債務超過に陥っている団体もあるようです。私は長野以北の新幹線開通に伴う並行在来線の処理とこの外郭団体の見直しが村井県政の真価を問われる、そして最大の課題だと思っています。
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