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2007年7月23日 (月)

原発事故

今回の新潟の地震で今大きなニュースになっているのは柏崎刈羽原子力発電所 の事故です。
地震当日発電所から上る黒煙は原発にあまり詳しくない私でさえ「これは大変だ」と思わずにはいられませんでした。 結局この事故は変圧器に入っている油の火災と判明し、大きな事故にはつながらなかったのですが、その後この火災事故ばかりでなく水漏れ放射能漏れといくつかの事故が起きていることが判明しました。

政府や東電の発表では甚大な被害ではないと言ってますが、放射能が見えないモノだけに国民の不安は中々おさまりませ。また日本の原発の安全神話がまた大きく崩れた事件でもあったと思います

ところで今日本の電気の約30%を原発が担っていると言われています。今の日本の国民生活を維持するには何だかんだと言って原発抜きには語ることは出来ません。
確かに、火力 水力 そして風力や太陽光など発電手段はいくつかありますが、効率や環境影響そして何より地球温暖化防止の観点に立てば原子力は有力な手段であることは間違いありません。

私は従来より出来れば原子力発電に変わる安全で環境に優し発電手段があればそれを支持したいと思っていますが、現状では原子力の規模やコストを超える発電手段は中々見あたりません。風力や太陽光発電も効率やコストそして今では環境問題を考えればなかなか前進しないのが現状です。

であるからこそ、今回の事故は私にとって非常にショックでした。地震という自然災害が引き起こした事故とはいえその対策・対応があまりにも杜撰であり、これが日本の原発レベルか?と疑いたくなる実情でした。

私はこの一連の事故を見ていて情報公開の必要性・信憑性を強く感じました。
一部ですが原発に強い不信感と反感を持った皆さんは存在します、しかし現状日本のエネルギーの供給状況とりわけ電力の状況を見れば原発を抜きに語ることは出来ません。恐らく多くの国民の皆さんは原発の必要性は十分認めていると思います。ですから今は些細なことで反原発の国民的な運動が起きると言うことは考えにくいと思います。もし原発に事故があり、それを発端に反原発の国民的な運動が起きるような背景が考えられた過去には、原発事故を隠蔽しようとした考え方は、もちろん好ましいことではありませんが、あり得たかもしれません。
しかし今では国民的な合意の元に原発政策が進められていると解してます。であるなら、隠すことより積極的に公開することの方が国民の一層の理解を得やすいと思うのです。

今までなかなか外に出てこなかった些細な事故も逐一公開し、その対策を国民の前に説明して理解を得る、こういった基本的な考え方の方が国民は納得がいくと思います。
マスコミに追い詰められるようにしてボロボロ出てくる不祥事は、まだ何かるんじゃないか? 本当はもっと危ないんじゃないか と言うような猜疑心だけを国民に植え付けます。
そうではなく自ら積極的に情報公開をし、隠し事のない国民との信頼関係を持った原発にしないと日本の原発の将来は無いと思います。

隠して丸く収めるより、情報公開して理解を得る、すでに国民にとって不可欠な原発です、原発をめぐるより一層の情報公開の必要性を感じる今回の事件でした。

何もこれは原発に限った事ではありません。国政も県政もその主体者は国民・県民なのですからより一層の情報公開を望みます。それがしいては行政に対しての無関心、そして政治不信政治離れを防ぐ手段になるのだと思います。

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