« 2007年10月 | トップページ | 2007年12月 »

2007年11月

2007年11月30日 (金)

額賀大臣の疑惑

今国会では額賀財務大臣の参院での証人喚問で揺れています。

まずはじめに高見沢県議がブログに書いていたように、この問題で国会自体の審議を止めたり混乱させるのは絶対して欲しくないと思ってます。
国会開会中は一日3億円の費用がかかると言われてます、そして何よりこの証人喚問が国会審議を止めてまで行うほどのどこが国益なのか私には理解できません。

ところで話は戻って額賀大臣の件ですが、もちろん正確な事は分かりませんが、どうも民主党の追求は怪しくなってきました。
私もこの件でいろんな方と話をするんですが、あれだけ本人が強く否定している、しかも自ら調べてそれでも尚「私は行ってない」と言い張っています。
それにその会の主催者や関係者が全て大臣は出席していなかった、と言ってます。
また主賓のジェームズ・アワー元米国防総省日本部長までもが「大臣はいなかった」と言ってます。
(ただこの発言を自民党本部で記者会見した事は自民党はケンカが下手ですね)

そこまで言うならまず行ってないと考えるのが常識です、もし行っている事を隠すなら記憶にないとか、記録がないとか、前の家族との食事会で飲み過ぎてどうも記憶が曖昧だとか、稚拙ながら何とか理由はつくはずです。
しかもその食事会は特段談合や密談というたぐいのものではありません。
アメリカの高官が日本に来て関係者と食事を取ったと言うだけで、仮に額賀大臣が出席していたとしても山田洋行と額賀大臣との特別な癒着ぶりを証明するものではありません。
その時点で山田洋行と言う会社の体質まで大臣は知らなかったと思われますから。

もともとこの問題は昨日逮捕された守屋前事務次官から出てきた証言です。
となるともしかして守屋氏の証言の裏付けを民主党は取ったのかここが大きなカギになります。出席者が少数で特定できているなら、他の出席メンバーに確認したのか?
どうもこれもしてないようです
なにやら例の「メール事件」の様相を呈してきました。
恐らくその気配を感じて共産党さんは異例とも言える、野党単独の証人喚問決定の採決を間違いだったと言っています。
ここに来て民主党も党内からそう言う声が上がっているとの報道です。

この事を冷静に見るなら自民党は額賀大臣の証人喚問を受けるべきです。
しかも全国にテレビ放映させて逆に民主党のいつもの「危うさ」を露呈させるべきです。
もしかしたらここで一気に形勢逆転に持ち込める好機かもしれません。

それにマスコミの報道も小さいのですが、山田洋行から当時一番献金を受けていたのは誰あろう小沢民主党代表であるとの報道があります、であるならチクリとこの事も突くのもいいかもしれません。
ともかくまたまた「やっちゃた」感がある額賀大臣の証人喚問になりそうです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月29日 (木)

イルミネーション

12月1日から箕輪町のTMOが主催のイルミネーションが点灯されます。
これは昨年からTMOの皆さんが中心になって行っているイベントで、かなり綺麗でにぎやかなイベントです。
各地でこの冬のイルミネーションイベントは興されているのですが、クリスマスが近いこの時期は街が華やいだ雰囲気になりとても良いものです。
私もこのイベントにささやかですが参加しています。

そこでこういったイベントで感じる事ですが、このエネルギーの尊さです。
つまりこういったイベントを成功させようと頑張る、地域のリーダーそして参加する皆さんの努力に対して敬意を感じます。

しかし反面問題もあります、このイベントを通じて商店街の活性化が具体的な結果として行われたのか、この検証があまりなされていない事です。
つまりイベントに取り組む熱意はいいのですが問題は、何のためのイベントだったのか、このイベントが何をもたらし、何を残したか、こういった反省が必要かと思います。

それはそれとして今までは私もこういったイベントの主催者側にいたのでよく解るのですが、こういうイベントの持つ効用に実はすぐには表に出てこないものがあります。
開催されるまで何度も同志が集まりますから、そこでいろんな話が出てきます、そこで語られるまちづくりや 商店街の活性化の話題、こういった話、難しく言えば意見交換、解りやすく言えば、作業の後の一杯飲みながらの話が、実は真の意味でのまちづくりや商店街づくりに役に立っている、そしてそれが必要だと思っています。

極端に言えば、イベントは終わればそれだけかもしれませんが、それを成すまでの過程での仲間同士の話し合いはその後の地域を作っていきます。
これが大事なのです。
これが多い地域ほど地域力が高いところだと思っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月28日 (水)

12月県議会補正予算 森林税

12月開会の県議会に提出される補正予算案は、台風9号の災害復旧費や鹿の食害対策などを中心に、総額で5億6900万円だそうです。
一番大きいのは台風災害の復旧のためにの予算で、他には県立駒ヶ根病院の改築に向けての設計費等だそうです。

議会が始まる前から言っては何ですが、今議会での焦点は「森林税」と「長野県中期総合計画」だと思います。
恐らくこの2点が特に議論されると思います。

森林税については議会内部では共産党が反対の立場を表明してます。
あの皆さんの立場からすると理解はできますが、その中に「税負担が重い」という内容の表現があります。個人県民税の均等割だけの県民にとっては1.5倍の逆累進税となる、としてます。確かに1.5倍の課税と言われれば「ありゃ~」と思うでしょうが、増税分と考えても、500円ですよ、しかも年間で。 これで「深刻な影響」と言う論理はどう見ても無理があります。

そしてこの森林税による増収分は約8500億円の県予算のなかで0.08%です、とあります。これは正しいのですが、何で浅川ダムの見直しをしない事が関連するんでしょうか?
恐らく森林整備が治水に繋がるという発想なのでしょうが、浅川ダム反対はあの皆さんにとってはそれでいいのですが、論理の飛躍を越えて、いくら何でもこれも無理があります。
だったら中国のCO2排出抑制の施策を中国政府に迫る方がまだ分かりやすいと思います。
森林整備推進という誰が考えても正しい施策について異を唱えるならこういった無理をしないといけないのかなと思ってしまいます。

そして拙速であるという意見も出ていますが、何で拙速なのか説明もなく、何を根拠に拙速であるか分かりません。 もしであるなら、今議会で徹底的に議論すればいいのではないかと思います。

ただ私も森林税自体についてはその趣旨は理解できますが、問題はいくつかあると思っています。
まず6億円強の税収歳入予算ですが、これは共産党さんが言っているように県全体の予算からするとごくごく僅かです、であるなら経費の削減や合理化でこのくらいの金額が出てこないか? もしくは県民に新たな負担を強いるなら、この点について十分検討したか?この疑問があります。そしてそれを議会で十分議論したか?
これを県に攻めるなら、冗費の例を挙げて県側の答弁を聞くのはいいかもしれません。
そうなれば浦野総務部長が何と答えるか楽しみです。
恐らく県としては、県民に一定の負担をしてもらう事で森林政策に県民的な理解を深めたい、という思いがあるとの趣旨の答弁があるかもしれません。

そしてなぜ500円なのか? 長野県森林づくりの費用を考える懇話会の提言では500円から1000円という表現だったような気がしますが、それが500円に落ち着きました。
ではなぜ500円なのですか? ワンコインだからですか? 
つまり500円という金額の妥当性が見えてこないからです。
議員でないので詳しい資料はありませんが、簡単な話が「里山を中心とした森林づくりの推進【約 5.2億円】」で H20年から 22,680 ha/年平均 の森林整備ができるか?と言う点です。この点については議員ならばもっと詳しい資料が入手できると思いますが、現状では本当にできるの?と思うしかありません。
議員なら各森林組合や業者を回ってこの金額の妥当性を調査すればいい質問ができるかもしれません。

アンケートでは1000円ぐらいまでなら出してもいいという県民が多かったようです、もしかしたら、しばらくして1000円という事になるかもしれませんよ、その時500円だった根拠が曖昧なままだと、議論ができませんからこの点は県の考え方をしっかり聞くべきですね。

実はこの事は県の説明責任と情報公開に関係する事なのです。
先日のブログもこの事が背景にあっての事でした。

とにかく 12月議会での議論の盛り上がりに期待してます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月27日 (火)

情報公開 その2

あるベテランの県議さんのコメントがしばらく前に載ってました。
「今の県政が正常だ」と。
私は前県政のような停滞と混乱の県政がもちろんいいとは言いません、しかし、では今の県政が正常かと言えばそうとは言えないと思ってます。

そもそも健全な政治状況とは、理事者側と議会側との関係はあくまでも緊張関係と信頼関係がある事です。
たとえて言うなら、親だから自分の子供を真剣に叱るのであって、そこには親子という本当の愛情があるからこそ通じる言葉があるはずです。
そこには子供の将来の幸せを願う気持ちがあり、だから子供の非を叱るのです。
だらだらとした、都合の良さ居心地の良さだけを甘受する関係など無いはずです、そこには真剣な親と子の場があるはずです。

しかし今の長野県政はどこか違うような気がしてなりません。
何も問題なく無事過ぎていく事が正常と言われるような気がしてなりません。
例えば、11月19日に議長に提出した、県議会の長野県議会中期総合計画研究会の報告と10月29日に一足先に県が出した長野県中期総合計画案との位置づけか中々見えてきません。
この計画の作成過程に当然議会の意見も反映されるのでしょう、しかしそれがどこにも公表されていません。もちろん所管する企画局のHPに議会の報告書すら書かれていません。もちろん議会側も同じです。

この事は議会は県に対して意見するべきです。議会として出した報告書をどのように取り扱い、どう処理していくか、その説明を求めるべきだと思います。
もちろん公表されないところでその説明がなされているかもしれませんが、それでは開かれた県政とは言えません。
県民の見えるところで議論されるべきだと思っています。

段々県民に見えなくなる事が正常化ではありません!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月26日 (月)

情報公開

近年 特にここ数年大きく叫ばれているのが情報公開と説明責任と言う言葉だと思います。
もちろん民主主義が機能する大前提に情報公開があります。そしてその結果として説明責任があります。もちろんこれは表裏一体の時もありますが、それぞれ独立した事柄の時もあります。

要はいつも書いてますが、広く住民から集めたお金(税金)をどのように何にいくら使うか、そしてその結果いくら使ってどうなったか。
これが情報公開と説明責任の基本的なあり方だと思います。

では今の今の長野県政でこの事が十分に行われているか?この事については大いに疑問を感じます。
田中前県政の時のような異様とも思える県民の政治への関心が急速にさめ、いまや県政はかつてのような遠い存在になろうとしてます。

ではそれで良いのかと言う問題と、そうさせた原因は何か? と言う点になります。
第一にそれで良いのかという点については、当然良いわけはなく、この状態はいずれどこかに大きな綻びとして現れ、気がついたときには取り返しがつかない状況が生まれる可能性があります。つまり無関心が引き起こす破滅への道を進む可能性があるからです。

分かりやすく言えば、吉村県政時膨大に膨らんだ県債(県の借金)の責任と悲劇的な状況を過大に訴える事で田中県政が誕生しました。
今更悪く言っても仕方ないのですが、田中前知事が真摯な態度で県政に取り組んでいればそれは、結果オーライだったかもしれませんが、不真面目で思いつきの何の具体的な目標もない政策を行う人物でも、前政権の批判さえ当を得てれば選挙で当選してしまうと言う、言わば「衆愚政治」的な状況を生み出す原因にもなります。

そもそも吉村県政下においても県は末期にはかなり財政的な困難さを訴えていたのですが、県民にその声は届かなかったと言えます。
そういう意味では田中康夫さんの言葉は県民にとってインパクトがあったと言えます。

そして県民の政治県政の感心を無くさせたその原因は何か?となるのですが、この事は後日書きます。

ある方がこのブログをいつも読んで頂いているという事でしたが、「長すぎる」との叱りを頂きました。  反省して簡素にできるだけ簡素にしたいと思います。
読み返すと自分でも「長いな~ もっと的確な言い回しができないかなあ」と反省しきりです。  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月25日 (日)

不況 構造変化?

このところ私の周りの企業、特に製造業では仕事不足が言われます。つまり“景気が悪い”状況が徐々に進行しています。

製造業の仕事量の変化の要因は多岐にわたり、「これが原因で仕事がない」と分析できるものはありません。しかし一般的にはマクロの景気の動きが影響することは間違いありません。ただ製造業は特に日本全体がそうであるように、グローバルな展開をしている企業がBRICsをはじめとする海外の好景気に支えられて大変内容のいい会社もあります。
つまり中小企業にとっては親会社、取引先の取引相手がどうであるかが問題となります。

それはともかく、今日の信濃毎日新聞に県内上場企業の9月中間決算の記事がありました。これによると製造業では原材料高による減益が取り上げられていました。
今の製造業は一言で言えば原料高が製品に価格転嫁できないところに問題があります。
そしてもう一つ今日の記事にはありませんでしたが、労働分配率の低下もあります。
つまり「ワーキングプアー」と言われる問題です。

国際競争に見られる安い海外製品の流入や、投機的要素の強い原油の異常な高騰等々この問題はいくつかの要素がはやりいくつかありますが、私は「企業の利益分配構造の変化」もその一つだと思っています。

ここ近年外資によるM&A等の企業買収が頻繁に行われ、それと共に株主と企業の関係が見直され、安定株主の確保のために今まで異常に低かった株式配当率が一気に上昇しました。
これにより企業の利益分配構造が変化し、今、までは例えば従業員への利益分配、つまり給与での分配や従業員の募集(正社員)などの人的な部分に配分し、より高度な能力資質を持った人材を確保し、企業の発展を行ってきました。
また系列・子会社に例えば原料高などの部分についてはその上昇分を認める、その原資として親会社は利益の部分で対応してきました。そしてそれは次のコストダウンを要求すると言うことで、企業の体質を強化してきました。
つまり利益の分配が内部留保を除いて株主、従業員、下請け企業(系列企業)への一定の利益配分を行ってきたのですが、このバランスが近年大きく崩れて、株主配当に大きく比重が変化したことによると思っています。

国際的に株主が冷遇されていると言う世論が後押しになってこういった状態になっているのですが、ある意味この流れは自由化の中で資本の流動を考えると当然と言えるかもしれません。
言い方を変えれば資本の論理が製造業の論理を根本的に変えてしまった、とも言えると思います。

しかし問題はこの流れは欧米では長い歴史の中でできてきたものであり、日本のように一気の流れを変えたのではありません。
ここに問題があるのだと思います。そしてそれにドライブをかけているが、中国などの人経費の安い国からの安価な製品流入が拍車をかけてます。

つまりこのままではいつまで経ってもある一定のレベルまでは原料高は製品に反映できず、製造業はますます不要に陥ってしまいます。

そこでまず県は何をするか?
第一に現状の把握です。今の実態はどうなのか? できるだけ多くの県内製造業を対象に調査することです。
そして第二にそれに対する対応です。原則企業間の取引は民間の事であり行政が入ることはできません。しかしこの原材料高を転嫁できる、例えば技術・新製品開発もしくは独自の製品開発と販売、と言うあえて言えば従来から言われている、中小企業の活性化策を丁寧に取り組むことしかないかもしれません。
また場合に寄れば緊急的な原材料高による企業の資金繰り対応の緊急融資も必要かもしれません。ただこれはカンフル剤にもなりますが、企業体を逆に弱くなる可能性がありますから実施は賛成ですが運用は慎重であるべきです。

とにかく今長野県の製造業は大きく転換点に立っていると思います。

製造業ばかり書きましたが、非製造業についても書きたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月20日 (火)

長野県中期総合計画

長野県議会中期総合計画研究会の報告書が服部議長に渡されたと。この事は高見沢県議のブログで知りました。

私も以前から思っており、また議会としても当然議論になるだろうと思っていた“数値”についての多くの部分が書き込まれていました。
確かに県の行政の結果を数値として表現するのは困難な場合もあります、また場合によれば数値自体に置き換える事が出来ないもの、また置き換えても意味のないものもあります。

しかし、行政の要諦は広く住民から集めた税金を、いかに住民のために公平にそして公正に使うかという事になります。言い換えれば、一定の目標に向けて地域の福祉の増進を公平公正に進める事が目的となります(ここで言う福祉とは住民生活一般という意味です)。

と言う事になれば当然投資するお金を効率よく使い、その結果を十分説明がつくように住民に知らせる必要があります。
そしてその投資自体も将来得るであろう利益(行政の場合は結果と言えるでしょうか)を示し、その目標見向けて投資しなければならりません。

回りくどい事を書きましたが、つまりは明確な目標を示して行政運営は行うべきだという事です。
大きな方針は私は首長選挙の時に公約として示される方針と、それを細分化したマニフェストだと思います。しかし、それは選挙時の公約であって、現実の行政運営とでは無い方がよいのですが、それでも若干の差異は出てきます。
そこで現実をふまえて修正し、自治体のあり方を示すのが今回の総合計画(中期計画)だと思います。

できるだけ明確な数値で、あるべき長野県の姿を示し、全県民と共に目標に向けて歩み出す、これが理想的な中期総合計画のありようだと思います。

ここで私はあえて言うなら、長野県は県民何をしてくれるかと言う事だけでなく、県民に何を求めるかという事をより具体的に示すべきだと思います。
つまり今の行政が住民参加型という流れであるなら、行政が住民と真の意味で共生を訴えるなら、住民に対して何を求めるかも明確に打ち出す必要があると思います。

享受するだけで地域社会の中での住民と行政の関係が成り立たないのは、財政一つ取っても自明の理です。
長野県中期総計画がより現実味を帯び、より県民の身近なものになるために、「県として県民に何を求めるか」を強いメッセージを持って打ち出す事が大切だと思っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月19日 (月)

防衛省疑獄(?)

このところ防衛省の前事務次官に対する過剰接待の問題を盛んにマスコミは取り上げています。
まさに異常といえる接待で、いくら便宜供与など無いと言っても、ハイそうですかとは言えません。
これだけのつき合いで何もなかったという方が無理がある事は明かです。

こういった問題が起きるたびに以前にも書きましたが、私が思う事は“言外の指示”です。
つまり例えば守屋前事務次官は防衛省では庁の時代も含めて圧倒的な力があったといわれています。つまり人事権についても掌握していたと見るのが当たり前だと思います。もちろん組織ですから、前事務次官の恣意的な人事が横行していたとは言えないかもしれませんが、例えば「この人事は ちょっとなあ~」と言えば当然担当者は気に入らない人事なんだと判断します。
これは人事に事務次官として介入したとは言えないかもしれませんが、その組織の実質的な実力者が難色を示せば、それに逆らって事を進めるなんて事は考えにくい事です。

前事務次官が調達会議で競争入札にクレームをつけたと報道されています。もしそうなら部下は前事務次官の考えを推し量って入札方法を再考するでしょう。もちろん人事の事も考えるでしょう。
現実このとき書類に残るような指示があったとは考えにくいと私は思ってます。
もし前事務次官本人は違法行為に近い事をしていると思えば思うだけ、文章に残ったり、直接的な言い回しでは指示はしないと思います。

つまり「なあ君 そこは言えないが解るだろ?」というニュアンスがあったと思っています。
これこそが言外の指示であり、もしこれは犯罪にならないと言うなら今回の事件も犯罪になる可能性は低くなります。

つまり接待は受けた、業者とは仲が良かった、しかしその業者の有利になる様に働きかけはしていない、だから犯罪にはならない。
果たしてこれで納得するのでしょうか?

今回の事件は一般競争入札を随意契約入札にしたという事です。これでその業者は落札できる事になるわけです。
しかし長野県で起きた田中前知事を相手にした百条委員会では随意契約を一般競争入札にしようとした事件でした。一見随契から競争に変えたのですからいいような気がしますが、問題の業者は随契のままでは大手の下請け企業で終わってしまうので、何とかして競争入札にして参入したいと働きかけたところから、あの疑惑は始まりました。

大義名分は立ちます、つまり大手だけが随契で複数年契約していていいのか? 県内の業者を育てるのが県の仕事ではないか? 等々理屈はつきますが、しかし管理自体は要員の確保からノウハウまで結構大変な仕事だという事です。従って県では従来から門戸を少しずつ広げては来たようですが、相変わらず大手の独壇場だったようです。

しかし問題はその業者が知事の選挙の応援や資金の支援をしていると言う事実からそこに怪しい関係が生まれたと推測した訳です。
もちろん前知事はその業者を「入札に入れなさい」とは直接言ってませんが、当時一番意のままに動いていた職員を使って入札方法の検討を土木部に指示しています。
その業者との蜜月ぶりをかいま見ているその職員、まして知事お気に入りのその職員は「阿吽の呼吸」で言わずもがな的な判断をした事は明白です。

でもこの事件は不起訴になりました。これは私の独断ですが、この事件は基本的には『OUT』だと思っています、でも問題は現職の知事に対する疑惑にしては金額が小さすぎる事が問題だったと思っています。金額の多寡で決めるのは理解できませんが、それ以外に考えられません。
もうこの事件は一事不再理の原則で話題になる事はないかもしれません。

もし今回の防衛省の問題で前事務次官が直接指示していなくとも、指示したと判断されるなら、それはあの時の長野県の事件と同じだと思っています。
違うのは受けた金額と、便宜を受けた金額の多寡だけです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月16日 (金)

森林税

いよいよ長年の懸案だった「森林税」について県はその導入を図るべく議会にかけるようです。
すでに当然の事となっていますが、地球温暖化防止、災害防止、環境整備、有害鳥獣対策、等々森林整備の必要性は誰もが感じています。
そしてそのための費用は、本来なら山の所有者が負担するのが原則ですが、山の経済的効用が見込まれない中、森林整備に熱心な所有者がいない事はよく知られています。

今回の森林税はこういった状況の下、間伐などの手入れにかかる費用の国県補助分に上乗せする費用を捻出するのが目的で創設されます。

もちろんそればかりでなく、森林の持つ有効性を広く広報するためにも使われるようです。
そしてそれ自体は私はいい事だと思っています。

ただこの税は目的税であり、新たな新税である事には違いはありません。とするとこの税の必要性は認めるものの、従来の県の予算の範囲内でこの予算付けができなかったのか詰める必要があると思っています。
つまりこの予算には絶対にお金が回らないと言うならそれは解りますが、初年度4億円強、それ以後は6億円という金額が新税を創設しなければ出て来ないのか、しっかり論議する必要があります。

そして金額の妥当性が問題になります。
つまり「県森林づくりの費用負担を考える懇話会」の提言を具現化することと、県の森林施策の実施するための費用算出根拠が妥当かどうかと言う点も問題だと思います。
いかにも500円という数字は、500円という事自体が一人歩きして、すこし詰めた金額にはなっていない気がしてます。個人的には年間個人で1000円ぐらいはと考えるところもありましたが、この金額は微妙です。
もちろんこの金額は県民の森林に対する意識啓発という意味合いを考えれば十分な金額かもしれません。でもそれならそれできちっと説明しなければならないと思っています。

いずれにしても県全体の予算からすると飛び抜けて大きな金額ではないのですが、新税の創設だけにここは慎重に議会に対応してもらいたいとおもいます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月12日 (月)

大山鳴動・・・・

先週の小沢民主党党首の一件は何だったのでしょうか?
まあお騒がせでしたが、何だかスッキリしない結末でした。その行く末を見ているうちに一週間も更新が空いてしまいました。

今回の大連立騒動はそもそも参院での与野党逆転現象が生んだ政治情勢がその起因です。夏の参院選で国民が民主党に投票したのは、私はあくまでも民主党が良い、と言うのではなく、自民党しっかりせよ、と言う意味合いであると思っています。

何度も書きますが、民主党のいわゆる“寄り合い所帯”体制では、政権を取った瞬間から崩壊が始まると思っています、そういう意味では参院選の勝利は“終わりの始まり”だと思っています。
民主党支持者の皆さんには申し訳ないのですが、何と言ってもウイングが広すぎます。
恐らくそれは支持者の皆さんご自身も解っている事ではないかと思っています。

当時の長野県政のダブって見えてしまいます。つまり各政治的な基本スタンスは異なっても、打倒田中県政の旗のもと一つになって戦っていましたが、村井県政に変わった瞬間から、議会の様子も様変わりし会派の大小が県議会の流れを決めていると漏れ聞こえてきます。つまり県に対して一致団結という状況はもう無いと言うことです。
ですから同様に今の民主党の団結力は政権を取るまでの党内事情だと思っています。

それはともかく、テレビなどで民主党の国会議員の皆さんが、「いくらねじれでも国民の生活に大切な法案は問題なく通す」と言っています。
本当にそうであるならいいのですが、実は国民生活に重要な法律は、当然与野党の戦いの焦点になる法律でもあります。それを国民生活に必要だからと言って、与野党一致で成立していたら、マスコミは民主党は第二自民党か等と言い出しかねません。
もちろん国民世論も同様の反応をするでしょう。

つまり、やはりねじれ国会の運営は難しいと言うことになると思ってます。
政府は思い切った施策を打ち出すことがでず。例えば地球温暖化防止、エネルギー問題、少子化問題、高齢者医療、年金 等々国際的に評価されるような日本らしい法律、そして真に日々の国民の生活に直結した問題に何ら大胆な施策を打ち出せないまましばらくは漂うことになると思います。

もちろんこれも国民の選択ですからそれは仕方ないことなのですが、この「政治の季節」の反省の時に大きく政界は再編されるような気がします。流れとしては民主党のライト レフト各勢力の離反と、大量に増加しすぎた“小泉チルドレン”を代表する自民党新人議員と以前からいた自民党議員との選挙区事情による自民党内の分裂、これらがやがて日本の政治に訪れるような気がします。

とまあ政治評論家でもないですから、どうなるか解りませんが、それより落選以来概ね半年経って、そろそろ私自身も自分の方向を決めないといけないなと言う気持ちになってきました。
来月は後援会の皆々さんに自分の思いをお話しできればと思っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月 5日 (月)

政界大激震

昨日の小沢民主党代表の辞意表明は政界に大激震を起こしています。
この事件には私はまずいくつかの疑問点があります。
その中で一番大きいのは2回目の福田首相との会談をセットしたことが疑問でなりません。テロ新法(案)の扱いと民主党の姿勢、この問題だけなら会談は一度で済むはずです。なぜなら双方の基本的な立場が今後の数回の会談で変化するとは考えにくく、通過儀礼的な会談で終始する、あえて自民党的に言えば、国際状況をふまえて民主党に懇願したと言う事をアピールできれば良かっただけだと私は当初は考えていましたから、一度目の会談が終わるやいなや2度目の会談がセットされたことが不思議でした。
と言うことは1度目の会談で具体的な大連立の話、もしくは政策協定的な話があったかどうかは分かりませんが、そういう雰囲気の話があり、では次回もうすこしこの事について、と言う話があったと考えるのが普通の流れかと思います。

またもう一つの疑問は、小沢代表はなぜ大連立の福田首相からの話を持ち帰ったのか?と言う点です。
常識的に考えれば、万が一賛成を得られる、もしくは賛成の意見も出て、若い民主党でも“懐は深いんだぞ”という姿勢を自民党にアピールすることでより自らに近い政策を引き出す作戦がある。等々考えられますが、やはり一番考えられないのは大連立を役員会が了承することです。これは参院選の大勝利の流れからするとあり得ません。
なのになぜ持ち帰ったのか?  もしこの2回目の会談で初めて大連立の話が出たとすれば、「持ち帰る」と言ったとき一番驚いたのは福田首相だったと思います。

また大きな疑問に役員会で反対意見が出たことでそれを「私に対する不信任」と表明してますが、不信任とは言い過ぎで、あえていえば誰が見ても賛成できない大連立という自民党のカードを役員会に出したに過ぎないと思います。うがった見方をすれば、反対=不信任=辞任 と言うストーリーも小沢さんの頭の中にあったのかもしれません。
当然それは“次の手”を考えての事だと思います。

つまり小沢さんにとってはまず政権の参加もしくは政権を取ってこそ政治家としての意味がある。2大政党論のそして小選挙区制度推進者の小沢さんですから、当然そういった意識は強く持っていると思います。
しかし現実はどうでしょう、今の民主党は参院選の結果として勢いがあると言ってます、しかし参院選の勝利の大きな要素は、年金問題、政治家と金の問題、それに加えて赤城農水前大臣の意味不明な絆創膏、等々政府・自民党のオウンゴールです。
つまり国民の選択肢として、とりあえず自民はダメ だから民主という流れがあったに過ぎず、民主でなくてはダメという流れでは無いと思います。
少なくとも今の国会のねじれ現象など多くの国民にとてはテレビの中でのことに過ぎません。従って気紛れな世論は次の選挙まで民主党に大きな期待を寄せる確証はまずありません。それより国民に身近な法律も与野党の駆け引きで成立しないとなれば、逆風さえ吹きかねません、ただでさえ参院選で民主党を“勝たせすぎた”という思いを国民は持っているのですから、次衆院選で現有勢力の倍以上取らないと民主党が自民党を押さえる事はできないわけですから、とても無理だと小沢さんは考えていると思います。

そう思うと、ここで連立もしくは、政策協定を結んで政権に参加していく、そうでなければ参院選での公約も今まで訴えてきた政策も、所詮「絵に描いた餅」状態をしばらくは追い続けなければならないと言う事になってしまいます。これは万年野党に甘んじていた旧社会との鐵を踏むことになります。
そういった事を避けたいという思いが今回の小沢さんの行動にあったような気がします。そこで現実論としての大連立をあえて役員会で提示した。もっと言えばそこで民主党幹部の政治センスをは“測って”みたと言うことだと思います。

いわば今回の小沢さんの行動は民主党に見切りをつけたと言うこと他ならないと思います。
当然ですがこの流れはここで終わることなく、小沢さんがいつ民主党と袂を分かつかと言うことが焦点となり、出て行くとき参院議員を何人連れて行くかと言うことも噂には上っています。
私はここで忘れてはいけないのは国民新党の議員の皆さんです。衆院では必要ないのですが、参院では4名の議員は大きな流れになります。
従って小沢さんが離党して新たな流れが始まるなら、国民新党の動きも注目しないといけないと思います。もともと小沢さんと同じ自民党の皆さんですから、安倍さんから福田さんに総裁が変わった時点で、戻りやすくはなっているのではないかと思っています。

いずれにしてもここ数日、そして通常国会開会前まで、つまり年末までにまだ一波乱も二波乱もありそうな気がします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月 1日 (木)

3障害

社会福祉関係でよく言われる言葉に「3障害」という言葉があります。
身体障害 知的障害そして精神障害。

この3つのうち比較的理解されやすいのは身体と知的のそれぞれの障害です。しかし精神障害は比較的理解されていないし、また認知度も低いと思います。
それには様々な理由があります。
まず身体と知的障害は社会的に見ればその障害が分かりやすいと言うことがあります。
ところが精神障害は比較的外見では判断しにくいといえます。
そして、身体 知的 障害の皆さんはパラリンピックとかOSとかで社会的な認知度も急速に高まり、結果社会参加もまだまだ十分とは言えないまでも徐々に進んでいます。

しかし、精神の障害を持つ皆さんについては、障害という範疇と病気という範疇が分かりにくいということと、同じ障害でありながら周囲の人でさえ気が付かない場合や、気が付いても家族が隠すという傾向が見られます。
もちろん“隠す”と言うことは、周囲の理解不足から始まることなので、隠そうとする家族より、理解を示さない社会に問題があることは明白です。

また私の住む箕輪町の場合で言えば、身体や知的な障害を持つ皆さんは団結して社会参加をすると共に、行政などのに自らの存在をアピールし、その立場をより良いものにしようと活動し努力してます、しかし精神に障害を持つ皆さんには具体的にはそういった活動はありません。箕輪町の場合は家族会さえないとの話でした。
となると行政一般社会もどうしても認知度も低くなり、その手当ては遅れたものになってしまいます。

今日私のところにこの精神障害の皆さんの自立支援をしているボランティアの代表の方がお見えになり、いろいろなお話を聞くことが出来ました。
精神の障害を持つ皆さんが今社会的におかれている状況や環境について。自立するための例えば“仕事”等について、様々なお話を聞くことが出来ました。
はじめは心を開かない障害者も黙って隣に座っているだけで、そのうち自分から必ず喋ってくる、だから話を聞いてあげるのがまず一番、と言うようなお話も聞きました。

確かに障害を持つ皆さんの社会的な地位はかなりのスピードで改善されている部分もあります、しかし依然として障害を持つ故に悲しい人生を歩まざるを得ない方も多いのも事実です。
生きていく望みや希望が人生のスポットライトだとすれば、こうした社会的弱者の皆さんに、その光を当てるための舞台を作るのが行政の仕事だと思います。
そして障害を持つ皆さんが自立し誇りと希望を持って生きていく事ができる社会は実は誰にでも優しい社会であると信じています。

口だけの思いやりでなく、自分勝手なイデオロギーの押しつけでなく、障害を持つ本人、家族そして携わっている皆さんの声を真剣に聞く事を常に忘れてはならないと強く思いました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年10月 | トップページ | 2007年12月 »